今週のアルバム:ハイファイセット「Love Collection」~ ユーミンの秘蔵っ子

ハイファイセット

この「Love Collection」は西野カナのベストアルバムではなくハイファイセットの同名の3rdオリジナルアルバムです。発売日は1977年2月5日と今から40年前で私が大学を卒業する頃で、同い年のユーミンが結婚した頃と重なります。ユーミンの秘蔵っ子ハイファイセットとは?

ユーミンとの出会い

1973年11月にユーミンがリリースした1stアルバム「ひこうき雲」の同名のタイトル曲がこれです。
ひこうき雲 – 荒井由実(松任谷由実)

この曲は好きになってもユーミン自体はそれほど好きとかいう気にはなりませんでした。

ユーミンを好きになる

ドラマのこの主題歌を聴いてユーミンが好きになってしまいました。
荒井由実 あの日に帰りたい

それまではフォークソングとジャズしか聴かなかったのに、この頃からニューミュージックに興味を持ち始めます。

ハイファイセットとの出会い

ユーミンが作詞・作曲した曲「卒業写真」でデビューしたグループがいる?との情報あり・・・
Hi-Fi Set – 卒業写真

「なんだ、赤い鳥の半分じゃん」とやや興味は失せましたが気にはしていました。

ユーミンの没になった曲でハイファイセットがヒット

ユーミンがテレビドラマの主題歌「あの日に帰りたい」の前に最初に書いた曲が、ドラマ側のスタッフから「ドラマの趣旨にそぐわない」ということで没になったのですが、それをハイファイセットが歌ったらヒットしてしまいます。
山本潤子/スカイレストラン

山本潤子の声に魅せられて、この頃からハイファイセットを聴くようになります。

最初に買ったアルバムは「Love Collection」

「フィーリング」が好きになったのでそれ目当てで買いましたがユーミンの曲も入っていました。
Hi-Fi Set – Love Collection (Album)

アナログレコード時代はほぼすべてのアルバムを持っていましたが、CDに変わる頃に2枚組のライブ・ベストアルバムを買ってレコードは全て処分しました。処分と言っても引っ越しに伴って同僚や知り合いに譲ったのですが、今思うと少しは残しておけば良かったと思います。

まとめ

Spotifyで聴けるハイファイセットの曲を紹介します。

以下を聴くにはSpotifyをインストールする必要があります。デスクトップは右上のロゴをクリック。モバイルは通常どおりアプリをインストールしてください。無料で聴けますが、モバイルはシャッフルのみとなります。

この頃に好きになった曲を思い返すと暗い曲が多かったのですが、なぜか前向きな気持ちにさせてくれる不思議な逆説的名曲も多かったように思います。

私の場合は特に相手の女性に感情移入するというクセがあったので、ユーミン作詞作曲でハイファイセットや山本潤子の声で歌う曲にはずいぶんと感情移入したものでした。まあ今でもテレビドラマや映画のヒロインに感情移入してすぐに涙を流してしまうという情けないオヤジではありますが・・・

ニューミュージックがいつの間にかJ-POPに変わりましたが、その境目はよくわかりません。しかし、どうもCDショップなどの分類上でセールスしやすい分類として演歌以外には何でも使える「J-POP」が誕生したという話が信ぴょう性がありそうです。

ではニューミュージックはユーミンが作ったのか?という疑問に対してはWikipediaの以下の説明が笑えます。

荒井由実のファーストアルバム『ひこうき雲』が1973年11月に発売される際にアルファミュージック社長・村井邦彦が、当時の新人売り出しの慣例だったキャッチフレーズを付けるため、アルファ社内10数人で知恵を絞り、富澤一誠にも相談し、決定したキャッチフレーズが「魔女か!スーパーレディーか!新感覚派・荒井由実 登場」であった。”新感覚派”だけでは訴求力は弱かったといわれるが、『ひこうき雲』のレコーディングは1973年初秋であるため、1973年秋の時点では「ニューミュージック」という表現は、まだ音楽業界に浸透していなかったものと考えられる。村井は、担当者から『ひこうき雲』は、フォークか、ロックか、アイドルか、どんなジャンルなのか聞かれ、これが決まらないと、レコード店の売り場コーナーの見通しがつかないと言われたが、荒井由実の音楽を簡単に説明をすることは出来ず、いずれにも置きたくなく即答しなかったと述べている。それではどこに置いたのかは『アルファの伝説 音楽家 村井邦彦の時代』には書かれていない。庄野真代は「昔の事なので、鮮明には覚えてませんけど」とした上で、1976年6月に自身のデビューアルバム「あとりえ」が発売されて、レコード屋さんに行ったら、当時はジャンル分けでいくと、フォーク・ロックというところにそれが入れられていて、そのうちに1年ぐらい経ってから「ニュー・ミュージック」という言葉が出てきて、それからは「ニュー・ミュージック」のところに入れられるようになった、と話している。

こんな記事を読むにつけ、ユーミンが切り開いた音楽でさえも世の中に定着させるには随分と周りの人たちが翻弄され時間がかかったように感じます。今はYouTubeなどのネットメディアがそれを解決してくれますが、では昔のこのようなドタバタ劇にはもはや意味が無いのでしょうか?

「技術の価値は、試行錯誤の数で決まる」

ではでは、きらやん

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